薫る日々。

花嫁修業ダイアリー。

私の棲み処

私の棲み処は、バスの停留所を降りて、坂を登って登って登ったその先の奥に、ひっそりと隠れている。

家賃三万円の、小さなアパルトマン。

小豆色の玄関扉の裏側には、ソラフラワーというマメ科の木の皮を薄く剥いて作られた白い花のリースが飾ってあって、花の甘い香りを放っている。

これは一輪一輪、花びらの一枚一枚をタイの女性たちが一つ一つ手作業で作ったもので、社会保障のないタイにあって、彼らの生計を立てるのに一役買っているらしい。

両手も広げられない狭い玄関には、靴箱どころか傘立てもなく、淡い色の傘は枯れかけの菫みたいに頼りなく壁に凭れ掛かっている。

基本的に当たり前の物すら当たり前のようにない部屋であるので、本来なら殺風景すぎるほど殺風景な部屋なのであるが、収納家具も足りていないので、家主が大変なめんどうくさがりの片付け下手なのもあって、たいていは「部屋ごとひっくり返したように」散らかって、物が溢れている。

部屋に入ってすぐの低い木製のラックには、スワロフスキーの白い花が咲く香水瓶と、金色の五百円硬貨が詰まったイタリア製の保存瓶、アクセサリー入れにしているアンティーク調のキャンドルホルダーがあって、仕事で疲れて帰ってきた私の目を楽しませてくれる。

シンクと二口のガスコンロしかない小さなキッチンには、調理台がなく、私は毎度シンクの縁にまな板をどうにか乗せて、その上で野菜を切ったり、溶き卵を入れたボウルを置いたりしている。

バランスが取れずにまな板ごとひっくり返してしまうことがしばしばで、しかもキッチンの収納スペースはほんとうに最小限の、お湯を沸かす程度しか料理をしない人の為のものであるので、収納棚から溢れた私の可愛い食器たちのために、真剣に調理台の購入を検討している。

今いちばんのお気に入りの食器は、福岡の薬院に行ったときに職場の系列の雑貨店で買った、白山陶器の豆皿。

透けるように白い白磁に、滴るような瑞々しい瑠璃色で北欧風の花が描かれている。

その他にも、焦げたカラメル色の釉薬の下から花の模様が透けるティーカップ&ソーサーや、デュロボーのロックグラス、栗原はるみの計量スプーンなどが狭いキッチン上収納に押し込められていて、私のちょっとした宝箱である。

調理道具もほとんどなく、直径20センチのプラスチック製のボウルと、エッフェル塔が描かれたティファールのフライパン、そして愛用のポーチカキャセロールが私の自炊を支えている。

ベランダの向こうは裏山で、向かいの部屋の住人を気にせずに良い分、虫との戦いが待っている。

洗濯物を干すときにしか出ないベランダには蜘蛛が我が物顔で巣を作っていて、そのあまりの巨大さと立派さに、思わず家賃を請求したい気持ちに駆られる。

この前なんかは、洗濯物を干そうとベランダに出た途端、大きな蟷螂(かまきり)がいて、その不気味な双眼でじっとこちらを視ていて、それだけで恐ろしいというのに、さらに大きな鎌を振り上げてにじり寄ってきたから、思わず悲鳴を上げた。

洗濯物干しを掛けている備え付けの金具も、いつ壊れ落ちてもおかしくない錆び方で、私はこの部屋で唯一ベランダだけは気に食わない。

そういう理由で、私は洗濯物を干すとき以外、極力ベランダには出ないようにしている。

私が一番気に入っているのはこの部屋の出窓で、ここには薔薇の模様のレースカーテンが掛かっている。

天気の良い午後などは、ここからぼんやりと柔らかい日が差していて、出窓に並べた化粧品の銀色が淡く光って、私はそれを眺めながら午寝をするのがとても好きだ。

部屋中に散らばった少ない者たちを元の場所へと直すと、リビングには冷蔵庫と電子レンジ、それからガラスの天板のローテーブル、そして布団しかない。

本来布団は梯子を伝って昇ったロフトに敷いていて、そこが私の寝室である。

クーラーの位置がロフトの床の高さより低いから、夏はあまりの暑さに布団を一階のリビングへ下したが、もう十月半ば、そろそろ寝室を再びロフトへ移さなければならない。

でもそうなると、絨毯すらない一階のリビングは、ローテーブルだけになる。

その光景は、あんまり殺風景で、一人暮らしをするにはあまりにさみしすぎるから、だから私は片付けをしたがらないのかもしれない。

私の小さな夢は、この部屋に小さな二人掛けのソファを置き、テレビの見れるパソコンを置いて、恋人と二人でコーヒーやカフェ・オ・レを飲みながら、一緒に映画のDVDを見ることである。

そんな空想に耽りながら、毎日虫と戦いながら洗濯物を干し、一枚ずつ丁寧に折りたたんで、お気に入りのジャズ音楽を聴き、本を読み、手帳に何事かを書き付け、そして眠る。

これが私の棲み処、私の小さなお城である。

 

   

 

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